2005年春から2017年夏までのあいだ、院内瓦版としてまたHPで掲載されていた「みみより通信」を小冊子にまとめました。ここでは最終号(50号)を掲載しています。待合室に他の雑誌と一緒に何冊か置いていますので、ご来院の際気が向いたら手に取って下されば幸いです。
昭和42年6月に父、小田島昭二元院長が盛岡市上田に耳鼻咽喉科を開業して丁度50年になります。
私が大学の医局を退職しここで働き始めて12年、当初私なりに新しく何か出来ることはないかと思い付いたのが、院内瓦版「みみより通信」でした。型式は学級新聞の様にして、季節毎に年に4回、病気の事や気をつけてもらいたい事など、患者さんにみみ・はな・のどの話題を提供しようと決め細々と続けてきましたら、これまた丁度50号目を迎えることが出来ました。
「50年に50号目、何となく節目になるかな」と思って一冊にまとめることにしました。
全くもってつたない文章、読みにくい構成でお恥ずかしい限りですが、その時に起こった事が直接思い起こせて一人で楽しんでおります。
記念と思って手に取っていただければ幸いです。
平成29年9月
小田島耳鼻咽喉科医院 小田島葉子
祝!小田島耳鼻科50周年 |
昭和42年6月1日、先代の小田島昭二院長(父)が、此処上田の地に「小田島耳鼻咽喉科医院」を開業して今年で50年が経ちます。それまで暮らしていた釜石病院の官舎から家族皆で引っ越してきたのは私が3歳の頃でした。
当時は駐車場もなく、長細いウナギの寝床の様な建物で、2階には入院を置いて耳・鼻・扁桃腺の手術を局所麻酔でやっていました。奥に自宅もつながっていたので、よく入院患者様の所に遊びに行っては父に怒られていたのを思い出します。
小・中・高・大学まで盛岡っ子、私もこの医院もまさに盛岡、上田に育てられてきました。平成17年から私も医院を手伝う様になり、平成18年には建物の老朽化に伴って今の医院を改築、現在に至ります。
その後父が亡くなりドタバタと院長就任、翌年には東日本大震災があり、あっという間の50年という感じです。
お陰様で小田島耳鼻科の看護師様や事務の皆様は、以前どおりのメンバーで頼りない新米院長を支えてくれています。私よりもずっと頼りになるみんなです♡
今後とも明るく優しく、地域の皆様に支えられながら、長く親しみやすい病院でありたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。最後に、先代からずっと陰で医院を支えてくれた母(82歳現役主婦)に感謝します。
耳よりも50号 |
平成17年から始めた院内瓦版「みみより通信」も気が付けば50号を迎える事が出来ました。
何かためになる情報をお届けできればと、つたない文章で始めたものですが、記事に関するお話やアドバイスを患者様からいただいたり、うれしい事や考えさせられたりすることもあり、私の方がためになった気がします。
今回50回の区切りとなりましたので、瓦版形式はいったんお休みとし、季節ごとにワンポイントの耳寄りな情報を、よりコンパクトにお届けしたいと思います。特に難聴や補聴器、耳鼻咽喉の最新情報も充実させたいと思います。
今後共ご期待ください!
最近の外来の傾向 |
今年はスギが少なかった分?カモガヤ飛んでます。
風邪が長引くなあと思った方、アレルギーかもしれません。インフルエンザや溶連菌も未だに流行っていますので、季節の変わり目御注意ください。
編集後記 |
学校健診で時間が不定期となり、ご迷惑をおかけしています。久しぶりに受診の方は事前にお電話ください。
小田島耳鼻咽喉科医院 小田島葉子